すみなすものは心なりけり。

自分の感情をコントロールして、自分のやりたい事を実現するためのブログ。

200926.log

今日はずっと扶陽と言う中国ドラマを見ていた。

本当は朝ジムに行く予定だったけど、気付いたら二度寝して行けなかった。おかげでペナルティ払ったわ、、、、

 

私、自己肯定感が低すぎて、誰かに認められていないと心が安定しない。

だから、ちやほやされたくて出会い系アプリに登録をして、いわゆる「いいね」をたくさんもらう事を頑張ってた。と言うか頑張らなくてももらえるから、だからやってた。

で、誰か話し相手が欲しい時に適当な相手と話すようにしていた。

今回は、適当に話した相手が「会おう」って言ってきて、私は「いいですよ」と言った。暇だったから、、、、。

でも、いざ当日になるまでに、私はどんどん怖い気持ちになっていった。

メッセージのやり取りはほとんど面倒になって返してなかったけど、それでも会話の中身だったり、会うまでの段取り、写真での人相(笑)、、、どれも違和感があって怖かった。正直に言うと「この人メンヘラだ」というセンサーが働いた。(私が言うなと言いたい気持ちはわかるが、一旦飲み込んでね)

で、怖い気持ちのまま、「でも約束しちゃったし」とか思いながら過ごしてたら、あっという間に待ち合わせ時間になったのでとりあえず場所に向かってみた。

そこにいたのは、長身の今風な感じで、顔も中の上くらいの男性。携帯を持って待機してる。目の前を通り過ぎた。

思ったより自分が怖がっていることに気がついて、待ち合わせ時間すぎているくらいだけど「やはり会えないです」と断りのメッセージを入れた。

相手が自分の外見をみて断ったと思われたら嫌だから、「やっぱり知らない人と会うのが怖いのですみません」と正直に言った。

「仕方ないかな」と言ってくれるかなと期待したけど、答えは予想以上の怒りとして返ってきた。

「俺は準備してきたのに、人のことバカにしてるのか」「あんたがやったことをネットに晒す」「運営会社にすでに通報したので覚悟してください」

、、、、、、、、、、、、

この時、私はいろんなことを考えた。

まず第一に、私の判断は正しかったんだって思えた。

一年前より、、、成長している。自分を大切に思えていることに安心した。

そして第二に、器の小さい男でメンヘラ気質なことを見抜けるようになったんだって思った。

だってあの人、会うのに食の好みも聞かないし、行くお店も決めてない。それで「準備してきたのに」と言われても、あなた私に対してなんの労力も使ってない。そしてそれは会話でも現れていた。私に対して何か質問するとかもないから。苦笑

大した労力もかけてないのに、そこまでブチギレるって、彼は相当自分に自信がないメンヘラなんだって思った。(お前もそうだろと喉まででかかってるのはわかったので飲み込んでね)

そして第三に、、、、怖かった。

何がって、、、こういう人に会おうとしていた自分が怖かった。こういう人から「いいね」をもらって満たされようとしていた卑しい自分が怖くなった。

ただ、、、、それくらい私の心は不安定なんだって思った。

男性依存症を克服する考え方を、Youtubeで心理学者が語ってたんだけど、、、、

男性依存症になると、多くの場合「辛くてどうしても男性に頼りたい心」と「それを激しく糾弾する心」の2つが存在して、その摩擦で消耗して負のスパイラルにハマるらしい。

「認めて欲しい」→「そんなことやめなさい」→「こんなことしてる自分が嫌い、自信がない」→「誰かに求めて欲しい」→「このビッチ」→「さらに自信がなくなる、、、、」のスパイラルね。

だから、まずはその2つの心の和解が必要なんだって。

冷静に見ると、どちらも自分の心を守るために発生している気持ちだから。

「誰かに求めて欲しい」は、「自分を否定してくる心から守ってあげたい」

「こんなことしてる自分が憎い」は「自分を安売りせず、依存するのではなく、自立して欲しい」

どちらも、私のために戦っている。だからこそ、それを聞き入れてどうするのが一番いいのか、自分の中で会話をすることが大切。

この話を聞いて私は救われた。

私の中にはいつも「なんてお前はダメなやつなんだ」って言ってくる自分がいる。だから、少し頑張っても自信はなかなかつかない。「頑張っても君はどうせダメなやつだ」と過去の私がしてきたことに対する罪悪感が私をネチネチと押しつぶしてくる。気にしないふりをしても、ふりなので意味はない。

 

でも、私の中でそう思っている理由、、、本当に私の心がしたかったことは「自分を守りたい」ってこと。

 

だから、、、、、今回、私は「守ってくれてありがとう」って自分に感謝できた。

自分の幸せを少し願えるようになった。今まで欲望はあっても、自分の幸せを願うことはなかった。

自分に幸せになって欲しいって思えると、心が少し軽くなった。

同様に、自分を大切にしてくれている人に対して「幸せになって欲しい」と思えた。